今回は、地方のルールが世の中を変えた実例から学んでいきましょう。
オセロのような大逆転劇ですね♪
おお、ジャイアント・キリング!!
いやいや、決して闘いではないんですが、、、
国のルールがおかしい?
前回は、将棋をモチーフにして、条例と法律の守備範囲について、その考え方を見てきました。
要は、それぞれ、役割分担があるから、それぞれの役割に応じて、ルールを作っていきましょうということです。
そして、具体的な役割分担の考え方について、最高裁判所の判断基準が示されているところでしたね。
国と地方の役割分担が上手くいっていれば、前回ご説明した考え方などを踏まえて、それぞれの役割の下で、国民や住民のためにルールをつくっていけばよいでしょう。
でも、その役割分担や国のルールに関する考え方が「おかしい」と思った場合は、地方はただ、国の考えるルールに従っておけばよいのでしょうか?
鳥取県西部地震
こうした点に示唆を与えてくれるのが、マグニチュード7.3、最大震度6強を記録した、2000年の鳥取県西部地震における鳥取県の対応です。
鳥取県西部地震では、幸いにも死者は出ませんでしたが、人口減少が進む中山間地域において、全壊家屋が394戸及び半壊2494戸と住宅の被害が深刻でした。
高齢化が進む中山間地域の住民のとっては、なかなか、住宅を再建するような資金的余裕はありません。
それでも、多くの住民は「住み続けたい」と願っていたのです。
当時の鳥取県は、後の総務大臣で、宮城県の浅野史郎知事、三重県の北川正恭前知事、高知県の橋本大二郎知事などと並び「改革派知事」と呼ばれていた、片山善博氏が知事を務めていました。
片山知事は、住民の意向を踏まえ、住民の住宅再建支援として、補助金を支給しようと考えました。
しかし、そのことが、国のルールとの衝突を生むのでした。
個人の財産補償 VS 地域を守る?
鳥取県が考えた支援制度は、住宅の再建費用として、一律300万円を補助しようとするものでした。
これに対して、当時の国のルール(被災者生活再建支援法)では、法律の名前のとおり、生活の再建に関して、生活必需品などを対象に100万円を上限とするもので、住宅の再建費用は対象外だったのです。
区分 | 鳥取県 | 被災者生活再建支援法 |
---|---|---|
補助金額 | 300万円 | 100万円 |
支援の対象 | 住宅の再建 | 生活必需品の購入など |
こうして見ると、前回学んだ条例と法律の守備範囲は適切に守られているように思います。
でも、「住宅の再建」の費用を補助すること自体が、国の一番強い効力を持つ、憲法の考え方に反するのではないか。という点が問題となったのです。
つまり、憲法は、「住宅やスマホも私的に所有していいですよ、その変わり、個人の財産、例えば、住宅であれば、火災保険や地震保険など、自助努力で守りましょうねという考え方」(私有財産制度)を採用しており、プライベート(私的)とパブリック(公的)なものを切り分けている。
そして、税金は、パブリック(みんなのもの)だから、私的な財産(住宅)に使うのはダメです。という理屈です。
さらに言うと、「憲法の考えを尊重して、国のルール(被災者生活再建支援法)では、住宅の再建費用は補助していないのだ。」ということにもなります。
なお、ここで、自己責任論についても簡単に触れていくと、地震保険は、最大でも火災保険の契約金額の50%までに制限されています。
そのため、火災保険に比べ、どうしても地震保険による補償でも再建にあたり不足(保険でカバーできない)する部分が生じることが多いと言われています。
地震保険に入っていない人のみならず、保険に加入している人でも支援が必要な場合が多いのです。
これに対して、片山知事は、結果としては住宅の再建に公金を投入する形にはなるかもしれないが、具体的な禁止のルールが定められているものではなく、あくまで補助の目的は、「地域やコミュニティーを守るため」であるから、憲法に違反することはないと考えたのです。
少し長いですが、衆議院の災害対策特別委員会での片山知事の発言を引用しておきます。
私は、やはり住宅再建にめどを立てるということがこの被災地の復興の一番の眼目であると思いました。そこで、何とか住宅再建支援をしたいと思いましたのが、被災直後の私の実感でありました。
それからいろいろな制度を調べたのでありますが、さっき言いましたように、我が国には住宅再建を手助けする手だては何もありません。唯一ありましたのは、住宅金融公庫の低利融資がありますけれども、これとて借りられた人だけへの低利融資でありまして、そもそも借りることのできない人には低利融資というのは何の意味もないわけであります。したがって、お年寄りの被災者には、住宅について手を何ら差し伸べることができないということでありました。
そこで、それならばもう単独ででもやろうということに決めたのでありますが、それからが大変でありました。それは、専ら政府との関係でありますが、当時、中央政府は住宅再建に公的資金をつぎ込んではいけないということを非常に厳しく言われておりました。個人の住宅というのはプライベートな財産だから、パブリックなものにしか使うべきでない税金をそういうプライベートな財産につぎ込んではいけない、これが財政上のルールであるということ、これをしきりに強調されておりまして、私も実はそれはそうだろうと思うのでありますが、しかし、幾らパブリックなものにしか投入できないからといって、道路や橋を一生懸命直しても、肝心かなめの被災者の皆さん方が住宅が再建できないということでその土地を去ってしまったら、その道路や橋に投じたパブリックなお金というのは一体何になるんだろうかと思いました。財政上のルールを守っても、しかし、地域を守れなかったということになってしまいかねないわけで、あえて、政府の方針には当時反したのでありますけれども、鳥取県では住宅再建支援に乗り出すことにいたしました。
出典:https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002215420020607007.htm
それぞれの言い分は次のようにまとめられます。
鳥取県の言い分 | 国の言い分 |
---|---|
「地域やコミュニティーを守るための」公共政策の一環 | 個人の財産(住宅)に公金を投入することはダメ |
こうして、鳥取県では、国の反対を押し切る形で、全国初の被災者住宅に対する助成制度「鳥取県西部地震被災者向け住宅復興補助金」を創設し、その後、2001年には「鳥取県被災者住宅再建等支援条例」を制定することになったのです。
被災者生活支援法の改正
みなさんは、どちらの言い分に納得するでしょうか?
ここでは、その後の被災者生活再建支援法の改正内容のみをお伝えしておきます。
・支援金増額(300万円)
・住宅解体や撤去費用などの住宅関連費用も支援対象になる。
・能登半島地震、新潟県中越沖地震など相次ぐ震災を受けた改正
・住宅再建の費用も支援対象になる。
・年収制限なども撤廃
こうして、国のルール(被災者生活再建支援法)は、鳥取県が当初に描いたルールを飲み込む形で、改正されることになっていったのです。
まさに、地方のルールが国のルールを塗り替えるという、オセロの大逆転劇のような展開を見せたと言えます。
教訓として
鳥取県のような対応は、本当に勇気のいることだと思います。
特に、財源不足の中で地方交付税など、国におサイフを握られている自治体にとっては、国の意向に逆らうことは非常に大変です。
それでも、人口60万人に満たない鳥取県が独自路線を進むことになったのは、もちろん、片山知事の先見性やリーダーシップが優れていることもさることながら、それを支える、住民の方々の思いや、住民のためになんとかしたいという職員など、周りの熱い想いもあったように思われます。
仮に自分にもし、相談があったとしたら、「法律的には、個人的な財産権の補償は難しいし、先例もないですよね。だから、ダメなんじゃないですかね。」「一応、国にお伺いを立ててみましょうか?」などと、あっさりと言ってしまいそうで怖いです。。。
この事例の教訓として何が言えるのでしょうか。
優秀なリーダーがいたから、世の中を変えることができた。確かにそれもあるでしょう。
でも、改めて考えてみてください。
この事例で行われたことは、「当たり前だと思っていることを疑い、固定観念を取り払って、住民にとって何が一番かを徹底的に考え抜く。」ということなのではないでしょうか。
そして、実は、それが一番できるのは、住民である、みなさんなのではないでしょうか。
政治家も、行政の職員においては、立場や仕事上、様々な利害関係や固定観念に縛られてしまう可能性も否定できません。
ここで、市民がルールづくりに参加することの大切さについて、改めて強調しておきたいと思います。
最後に、世の中を当事者の力で変えた例をもう一つご紹介しておきます。
・片山善博・津久井進(2007)「災害復興とそのミッション:復興と憲法」クリエイツかもがわ
・朝日新聞デジタル(2020年10月8日 9時30分)「住宅再建の独自支援『地域守るため』:片山前知事に聞く」
https://www.asahi.com/articles/ASNB777KDNB7PTIB00Q.html
・大西一嘉(2002)「鳥取県西部地震における住宅復興支援策の評価に関する研究」地域安全学会論文集, No.4
補論:片山知事と私
まだまだ20代の頃、片山知事に憧れて、出身地でもない鳥取県に奉職しました。
ある懇親会の席で、片山知事から(職員なのに!)サインを頂戴し、を今でも大切にしています。
そこには、大きな文字で「自立」と書かれていました。
非常に重たいことばで、それからというもの、その実現に向けてもがき続けているのかも知れません。
ウィリアム・アーサー・ワード(William Arthur Ward)の名言として、
凡庸な教師はただしゃべる。
よい教師は説明する。
すぐれた教師は自らやってみせる。
そして、偉大な教師は心に火をつける
というものがあります。
片山知事は、いわば私の行政における師でありまして、わたしをはじめとして、多くの職員の心に火をつけたのかも知れませんね。
昨年、とある講演会で久しぶりに知事の謦咳に接する機会を得ましたが、益々お元気なご様子で、自分も頑張らなければならないと、思った次第です。