情報コミュニケーション条例に関する学習会(講演録)

目次

講演録の概要

本講演録は、2023年2月9日に情報コミュニケーション条例制定を目指す市民団体の方々に向けて行ったルールづくりの講演に関するものです。

講演の機会を与えていただき、また市民の手によるルールづくりの知識を共有するため、本講演録の当ブログへの掲載を快くご了承くださいました、つくば市聾者協会、つくば市福祉団体等連絡協議会及び手話通訳者その他関係者の方々に、この場を借りて、厚く御礼を申し上げます。

なお、ブログに掲載したものは、講演録を再構成したものであり、誤解を招く表現等がありましたら、全ての責任は弊職にあることをご了解ください。

導入

講演の契機

「皆さん、こんにちは。私の名前は山下と申します。」(手話表現で)

(※音声日本語に戻って)

皆さん、こんにちは。手話言語条例を作ったのに、このくらいの手話しかできない、山下です。
どうぞよろしくお願いします。

今日は、貴重な講演の機会をいただきまして、ありがとうございます。

今日、皆さんにお話ししたいのは、「情報コミュニケーション条例の制定を目指して」というテーマです。
実は、私は、つくば市に住んでおりまして、たまたま市民委員をやったときに、そのときに、今、筆記をされている方と一緒になりまして、世間話をする中で、鳥取県での私の経験の話をぽろっと言ってしまったのです(笑)。

そうしたら、その私の話を覚えておられたことから、年末にこのお話をいただきました。
話すといっても、私が鳥取県の手話言語条例の起草に携わったのは、10年以上前のことです。そのため、今日、皆さんにお話しするにあたって、その準備として、鳥取県にインタビュー調査を実施しました。

そうしたところ、私が鳥取に住んでいた10年以上前から現在まで、鳥取県に手話言語条例が作られたことによって大きく福祉の政策が動いていました。
そのことのご報告も含めて、今日はお話しをしたいと思います。

この時間の前には、大人部会での議論を傍聴させていただきました。
つくば市での情報コミュニケーション条例の制定に向けて、要望書を検討されておられるとのことで、その大人部会の議論の中でもお話しさせていただいたのですが、条例の制定を目指してゆくためには、「どういうことで困っているのか」「どういう社会を目指しているのか」というのが大変重要な事柄になってきます。
細かい文章は、どうだっていいのです。

ともかく、真面目な話、条文の文言はどうでもよくて、皆さんの、「ここをこう変えたいのだ!」という強い思いが要望書に盛り込まれていて、その後の条例制定のプロセスにも、その思いが絶えず打ち込まれてゆく、というのがとても重要です。

こういった話を、これから、1時間ほどさせていただきます。皆さんのこれからの活動へのヒントにしていただければと思います。

そうはいっても、いきなり、私のような初対面の見知らぬ者の話を聞くというのも抵抗があると思いますので、まずは、クイズから行きたいと思います。

これは、かなり重要なクイズなんです(笑)。正解してくださいね。

私は、島根県出身で、鳥取県で働いていたわけなんですが、関東の人は、「島根県?ああ、砂丘があるところでしょ?」などと平気でおっしゃいます。
皆さんには、ぜひ、正解してほしいです。

「島根」と「鳥取」の見分け方。この左のシルエットと右のシルエット。どちらが島根でどちらが鳥取でしょうか?

左が、鳥取だと思われる方?あるいは、島根だと思われる方?大丈夫ですか?正解を教えます。

左が島根で出雲大社がある県ですね。そして、右が、今回、条例で話題にしている鳥取です。
私は、右利きなので、人に説明するときには、「お箸を持つ方、つまり右が鳥取県で、お茶碗を持つほう、つまり左が島根県」というように説明しています(笑)。

自己紹介

ここで、簡単に自己紹介をさせていただきます。
どうして、島根と鳥取のクイズを出したかというと、私がもともと島根県の出身で、鳥取県で働いて条例を作った、ということだからです。

私は、現在は、つくば市に住んでいます。
イーアス周辺の渋滞とか、ひどいですよね、とかいう話はさておき、話を戻すと、大学の卒業後に、当時、片山義博という改革派知事として鳴らした知事がいらっしゃいまして、その方に憧れて、鳥取県庁に入庁したのです。

まあ、地元の島根県を受けるという選択肢もあったのですが、勉強するには、鳥取県のほうがいいかなと思いました。実家からも近かったですし。

鳥取県庁に入って、新卒で障がい福祉課に配属されました。
雑談になりますが、当時、織田裕二主演の「県庁の星」という映画がありました。

エリートの公務員が職員人事交流研修で民間のスーパーに派遣されて悪戦苦闘する話です。
その映画を思い浮かべていただければ、ご理解いただけると思うのですが、公務員では、エリートコースだと最初、企画とか財政とかに配属されるのが通例なんですね。

私も当時、勘違いしておりましたので、映画ですと、主人公が左遷されて、福祉部門に異動させられるのですね。
そのため、障がい福祉課に配属されたときには、今から考えるとかなり語弊があるのですが、正直「私は期待されていないのだろうか」と思ってしまったのです。

 ところが、実際に障がい福祉課で仕事を始めたら、当時、従来の措置制度から支援サービスに考え方を転換した障がい者自立支援法がスタートした頃で、毎日、午前2時〜3時までの残業です。
当初、私が抱いていた「17時で仕事を終えて趣味を楽しむ」というようなお気楽な公務員のイメージとは大違い。

「支援サービス」とか「地域移行支援」とか、新しい概念に対応する業務で、本当に大変でしたけれども、当時の同僚は県の中でもよりすぐりのメンバーであり、今ではみなさん出世されて、県の中枢で県政を支えておられます。
思い返すと、本当に配属されたのが、障がい福祉課で良かったと思いますし、この当時の経験が、今の私の仕事を支えてくれるものとなったのです。

当事者の皆さんに、いろいろ教えていただいたこと、もちろん、お叱りもいろいろ受けましたけれども、そうした経験が、今の私の根本を形作っています。

鳥取県は、小さな県なので、先進的な取り組みをしやすい県でもあります。
新しい取り組みをするには、まず、法律とか条例とかの区別はさておき、ともかくルールを作る必要があります。
行政は、法律などのルールに基づいて仕事をするわけですから。

障がい福祉課での仕事で、ルールの大切さが身に染みたので、県庁を休職して、東京のロースクールに進学しました。
そして、ロースクールを終えて鳥取県に復帰した際に、手話言語条例の制定に携わったというわけです。

その後もしばらく県庁で働いていました。ただ、もう少し、広い立場でルールづくりのお手伝いをしたいということで、鳥取県を離れて、これまで、経済産業省や資源エネルギー庁の関係で電力システム改革への取組や、今は、東芝とかの会計不祥事の問題を受けた会計制度の仕組み変更などに取り組んでいるところです。

昔の経験から、今も、所属している第二東京弁護士会の公益活動で、盲ろう者の法律相談なども担当しており、住んでいるこのつくば市についても何らかの関わりを持ちたいと市民委員に応募して、そんなこんなでこの場へのつながりを得たという流れです。

本日のポイント

前置きが長くなりました。本日、お伝えしたいことは3つあります。

1つめは、「ルールをつくること」ということです。
鳥取県のお話をする前に、その前提として、「ルールをつくるというのはどういうことか」を知っていただきたいと思います。

2つめは、「鳥取県の手話言語条例」のお話。きょうのメインですね。
さきほどの大人部会での議論のときに、「まず、困りごとを挙げて、それをどういうふうに解決してほしいかを要望書に書き込もう」というお話がありましたが、実は、それって、けっこう難しいことなんですね。

ルールを作ることによってどういう成果が得られるのか、どういうふうに世の中が変わったのか、の実例を知らないと、なかなか具体的にイメージが描けない。
そこで、鳥取県で、どういうプロセスで条例を作って、その結果、どういう形で世の中が変わっていったのかを説明したいと思います。

最後に、3つめとして、「つくば市の情報コミュニケーション条例の制定に向けて、どういうところに着目すればいいのか」ということを、簡単にお話ししようと思っています。

ルールをつくるということ(トピック1)

3障がい手帳統合プロジェクトの経験

私の体験からお話しします。障がい者の手帳に関する制度のことです。

さきほど、私が障がい福祉課で配属されたと言いましたが、そのときの経験です。
鳥取県では、現在、障がい者手帳の外観が統一されています。

障がい者手帳には、障がいの種別に応じて、「身体障がい者手帳」(身体障がい)、「療育手帳」(知的障がい)、「精神保健福祉手帳」(精神障がい)の3種類がありますが、この3つの障がい者手帳の外観を統一しようというプロジェクトが、10数年前に行われました。
私が、大学を出て、県庁に入り障がい福祉課に配属され、2年目に携わったプロジェクトです。

今、茨城県はどういう形になっているかはわかりませんが、鳥取県ではその外観を統一したのです。
では、どうして、統一しようということになったのか。

きっかけは、精神障がい者の方から寄せられた県への要望などが一つのきっかけとなっています。
「私は、バスに乗車するときに、運賃の障がい者割引を受けるために手帳を見せるのだが、手帳の黒い外観から、私が精神障がい者であることが、バスの運転手さんや周囲の人にわかってしまう」というものでした。

当時の精神保健福祉手帳は、黒い外観で、黒い手帳=精神障がい者ということで、ひと目でわかってしまうわけです。「だから、使いづらい」というご意見でした。
それを受けて、県としては、外側を統一しようということで、そういうプロジェクトが発足しました。新卒2年目で任された大きな仕事です。

でも、精神障がいの方は、外観の統一でメリットを受けるのですが、身体障がいの団体からは、「統一することで、自分たちにどんなメリットがあるのか?」と言われました。
手帳をお持ちの方の人数でいうと、圧倒的に身体障がい者の方のほうが人数が多いのです。
身体障がいや知的障がいの方たちにも、従来の手帳を切り替えていただかないと、外観を統一できません。

そこで、無い知恵を絞って、いろいろと考えました。
身体障がい者の方は、障がい者手帳を身分証明代わりに使っていることがよくあります。
一方で、貼ってある写真を更新しないので、70歳の高齢者の方の手帳に、10代の頃の写真が貼ってあるケースがあります。
つまり、身分証明書の代わりの機能が十分に果たせていない状況がありました。

この点に着目して、制度の枠内で、身体障がい者の方たちも、手帳を切り替えて更新してゆくことで、手帳を身分証明として、より便利に使えるようになる、ということを打ち出しました。
その結果、多くの障がい者の方の賛同を得て、手帳の外観が統合されることになりました。

色についても、私、当時、決めることができまして、鳥取県→梨という連想で緑にしようかな、というように、一応かなり悩んで決めたんですけれども、それが、現在に至っても使われている、ということなのです。
ちょっぴり自慢で、ちょっぴりわたしの誇りです。

統一後、精神障がい者の方からお手紙で「おかげで、手帳が使いやすくなった」という言葉を頂戴しました。
ルールをつくる喜び、制度、世の中を変えてゆく喜びを感じると同時に、誰もが自分ごとに感じられるプロセスで仕組みを変えてゆくことが大事なんだなあと思いました。

何のためにルールをつくるのか

ひるがえって、情報コミュニケーション条例の制定について考えると、今、「自分たちの困りごとになっているんだろうか?」ということが、大切な視点として浮かび上がってきます。

誰もが、本当に困っている、だから条例をつくる、というプロセスになっているでしょうか?
私の鳥取県での経験を通じて、皆さんに考えてもらいたい点です。

つまり、ルールをつくる、というのは、結局どういうことなんでしょうか?

「現実」があって、「理想の姿」がある。「制度」や「ルール」は、その間を橋渡しするものです。
目的とするのは、「理想の姿」の方です。
橋渡しする「制度」や「ルール」は、あくまで手段であって、目的ではないのです。
この点を強調しておきたいと思います。 

条例をつくるということ自体が、目的になってはダメなんですね。
目的として、「どういう社会をつくってゆくか」という点について、よく考えてゆくと、よりよい条例になってゆくのではないかと思います。

昔の言葉で、「仏作って魂入れず」というのがありますが、これは、今もってルールづくりに携わっている私においても自戒を込めて述べる言葉でもあります。
ここに議員さんもいらっしゃるので、少し言いづらい話ですが、私は、市、県及び国のすべての立場で、ルールづくりの経験を積んできました。

「団体がうるさい」「団体の要望を聞けば票になる」とかいうことで、具体的な施策の規定はほとんど考えず、他の自治体のマネ、とりあえず政治的アピールにしたいという理由からルールをつくる事例に触れてきました。
そういうルールでは、つくったときに記念写真を撮って満足してしまって、その後、何も動いていないというものも多いと思われます。

みなさんが目指される条例も、そのような残念な条例にならないように、「制度をつくったその後に、どういう社会が実現できるのか」ということを考えていってほしいです。

条例そのものがスイッチになって、後から具体的な施策が生まれるということもありはしますが、やはり、ルールをつくる声を挙げてゆくのは、皆さん自身なので、「ルールをつくって施策を実現することによって、どのような社会を目指したいのか」ということが重要になってくると思います。

鳥取県の手話言語条例のお話し(トピック2)

参考

鳥取県手話言語条例ホームページ

※リンクから、全条文をご覧いただけます。

鳥取県手話言語条例のポイント

皆さん、もうすでにご存じかと思いますが、鳥取県手話言語条例の特徴を簡単にご説明いたします。

1点目として、手話を言語として認め、手話が使いやすい環境整備を推進する点を明記していること。

2点目として、手話が使いやすい環境整備を推進するため、県民、事業者、ろう者、行政など、関係機関がそれぞれ役割を担い、協働して取り組むこと。

3点目として、これがけっこう重要ですが、福祉分野だけでなく、教育、民間、行政など、幅広い取り組みを推進すること。

4点目として、障がい者計画の中でも、手話に関する取り組みを定めるようにすること。

5点目として、計画の策定等に関して意見をきく外部機関を設けて、その中に当事者も入れて、当事者の意見を反映する形にすること。

6点目として、県内の関係者、全日本ろうあ連盟、日本財団などの協力を得て、研究会で検討を進めたこと。

最後に、7点目。全国初の手話言語条例であるということ。

最後の点が実務的にはけっこう重要で、当時、同時期に九州の自治体が手話言語条例の制定の検討に入っていて、鳥取県では、今の状況だと、議会に提出するのが、次の次の議会になりそうだという状況でした。
そうなると、全国初ということにはなりません。2番じゃダメなんですよね(笑)

このときに、知事が「全国初」にこだわられたからこそ、私が、この場に呼んでいただいたわけで、その意味では、「全国初」というのは、アピールの点では、重要なポイントだと言えると思います。

条例前文への想い

この鳥取県の手話言語条例の特色として挙げられるのが、長文の前文です。

前文は、ルールの前書きのようなもので、どうしてこのルールをつくったのかなどを述べていることが多いです。
前文の全部を読み上げることはできませんが、インターネットなどで、見ることができますから、皆さん、後でゆっくりとご覧いただけたらと思います。

前文

ろう者は、物の名前、抽象的な概念等を手指の動きや表情を使って視覚的に表現する手話を音声の代わりに用いて、思考と意思疎通を行っている。

わが国の手話は、明治時代に始まり、ろう者の間で大切に受け継がれ、発展してきた。ところが、明治13年にイタリアのミラノで開催された国際会議において、ろう教育では読唇と発声訓練を中心とする口話法を教えることが決議された。それを受けて、わが国でもろう教育では口話法が用いられるようになり、昭和8年にはろう学校での手話の使用が事実上禁止されるに至った。これにより、ろう者は口話法を押し付けられることになり、ろう者の尊厳は著しく傷付けられてしまった。

その後、平成18年に国際連合総会で採択された障害者の権利に関する条約では、言語には手話その他の非音声言語を含むことが明記され、憲法や法律に手話を規定する国が増えている。また、明治13年の決議も、平成22年にカナダのバンクーバーで開催された国際会議で撤廃されており、ろう者が手話を大切にしているとの認識は広まりつつある。

しかし、わが国は、障害者の権利に関する条約を未だ批准しておらず、手話に対する理解も不十分である。そして、手話を理解する人が少なく、ろう者が情報を入手したり、ろう者以外の者と意思疎通を図ることが容易ではないことが、日常生活、社会生活を送る上での苦労やろう者に対する偏見の原因となっている。

鳥取県は、障がい者への理解と共生を県民運動として推進するあいサポート運動の発祥の地である。あいサポート運動のスローガンは「障がいを知り、共に生きる」であり、ろう者とろう者以外の者とが意思疎通を活発にすることがその出発点である。

手話がろう者とろう者以外の者とのかけ橋となり、ろう者の人権が尊重され、ろう者とろう者以外の者が互いを理解し共生する社会を築くため、この条例を制定する。

こんなに長い前文がある条例って、あまりないのです。
条例などをつくる業務のことを、「法制執務」といいます。その法制執務の観点からすると、本来、前文は具体的な法規を定めたものではないので、そこから直接的な法的効果が生ずるわけではありません。

そうであるにもかかわらず、鳥取県手話言語条例でこれだけ長い前文を置いているのには理由があります。
私も、当時、ヒアリング調査という形で県内各地で行われた講演会を聞きに行ったり、聴覚障がいの方にお会いしたりしました。

そうすると、ろう者の方から言われるんですね。
「われわれの若い頃は、学校の先生から殴られていた。体罰を受けていたんだぞ。」と。
私が「どうしてですか?」と聞いたら、当時の学校教育では、手話は言葉ではない、身振りだとされたのだと。
当時は、みんな隠れて手話で話していた、というのです。

「その後、次第に、手話が言語であると認められるようになってはきたが、そういう負の歴史があったからこそ、条例において、“手話は言語である”とはっきり認めることがとても重要なことなのだ」というお話を伺うわけです。

こうした当事者の方々の思いを受けて、全国で初めて自治体として「手話は言語である」と宣言する、という前文を設けるに至りました

もちろん、法制執務的にはさまざまに修正が必要な点もあったのですが、そのつど、何度もやりとりをして、この前文が出来上がりました。

この文書が完璧というわけではないのですが、思いが詰まったものなので、県としても、当事者の思いに応えたいということで、これだけ長い前文になったという経緯です。

手話言語条例の内容

次に、鳥取県手話言語条例の中身を順を追って説明していきます。

まず、目的は次のとおりです。条例の第1条に定められています。

条例の目的

 (目的)
第1条 この条例は、手話が言語であるとの認識に基づき、手話の普及に関し基本理念を定め、県、市町村、県民及び事業者の責務及び役割を明らかにするとともに、手話の普及のための施策の総合的かつ計画的な推進に必要な基本的事項を定め、もってろう者とろう者以外の者が共生することのできる地域社会を実現することを目的とする。

さきほどのポイントのところでも述べたように、「手話が言語であるという認識」が根本になっています。
「ろう者とろう者以外の者が共生することのできる地域社会を実現すること」が、この条例の目的です。

続いて、内容についてご説明していきます。概要は次のとおりで、鳥取県が公開している説明をまとめたものです。

手話言語条例の内容

1. 手話は、独自の言語体系を有する文化的所産

2. 手話の普及は、ろう者とそれ以外の者が相互の違いを理解し、個性と人格を互いに尊重することを基本とする

3.役割・責務

 ⑴ 県:県民の理解を深め、手話を使用しやすい環境の整備を推進する

 ⑵ 市町村:住民の理解を深め、手話を使用しやすい環境の整備に努める

 ⑶ 県民:ろう者及び手話を理解するよう努める

 ⑷ ろう者、手話通訳者:県民のろう者への理解促進、手話の普及促進に努める

 ⑸ 事業者:ろう者が利用しやすいサービスの提供、働きやすい職場環境の整備に努める

4.手話の普及

 ⑴ 県は、「障がい者計画」において手話に関する取組を定め、総合的・計画的に推進する

 ⑵ 県は、あいサポート運動の推進、県民が手話を学べる機会の確保、職員の手話を学習する取組を推進

 ⑶ 県は、手話を用いた情報発信、手話通訳者の派遣、ろう者等の相談を行う拠点の支援等を行う

 ⑷ 県は、手話通訳者等及びその指導者の確保、養成及び手話技術の向上を図る

 ⑸ ろう児が通学する学校の設置者は、教職員の手話技術向上に必要な措置を講ずるとともに、ろう児及びその保護者に学習の機会の提供、教育に関する相談・支援等に努める
   県は、学校教育で利用できる学習手引書の作成その他の措置を講ずるよう努める

 ⑹ 県は、ろう者が利用しやすいサービスの提供、働きやすい環境の整備を行う事業者に必要な支援を行う

 ⑺ ろう者及びろう者の団体は、自主的に普及啓発活動に努める

 ⑻ 県は、ろう者等が行う手話に関する調査研究の推進・成果の普及に協力する

 ⑼ 県は、手話に関する施策を実施するため、必要な財政上の措置を講ずる

5. 鳥取県手話施策推進協議会の設置

 「障がい者計画」に手話に関する取組を定める際に知事に意見する機関

ここで、補足的に条文の文言のお話も少しさせていただきます。

事前に、情報コミュニケーション条例の案文を見せていただきましたが、そこでは、「市民の責務」という言葉が使われていました。
市民の一緒に協力してゆくのだから、「責務」というようなやや堅い、ちょっと上から目線の言葉のように思われます。鳥取県手話言語条例では、「県民の役割」という言葉で定めています。

細かいことではありますが、そういったひとつひとつの言葉にも注意を払っていったほうがよろしいかとと思います。
同じ茨城県の先行事例として、笠間市の条例を見ましたが、笠間市では「役割」という言葉を選択しています。

どういう条例をつくりたいのか、市民相互間にどのような関係性をつくりたいのかという点を踏まえて、注意深く言葉を選ぶようにしていってほしいと思います。

条例制定の経緯

続いて、鳥取県手話言語条例が制定されるまでの経緯について詳しくご説明いたします。

鳥取県では、県民の皆様とともに10 年後の目指す姿を示した「鳥取県の将来ビジョン」を2008年12月に策定しています。その中で、手話を言語文化として位置づけたのが、手話言語条例制定への出発点です。

県議会のほうでも、手話に関する関心が高く、知事の意向もありまして、2012年には、県議会本会議での手話通訳もスタートしました。

2013年には、全日本ろうあ連盟から、手話言語条例の制定について要望をいただきました。このときが、条例制定の正式なスタートです。
さらに、日本財団が条例制定に向けて、資金を含め全面協力してくれることになりました。

2013年4月には、平井知事が、手話言語条例の制定に向けた検討開始を対外的に発表。その後、手話言語条例(仮称)検討会が設置され、第1回の会議が行われました。
同じ年の6月には、鳥取県ろうあ者大会において、鳥取県ろうあ団体連合会から条例の早期制定を求める強い要望がありました。

このように、県も、要望を踏まえた形で条例制定に向けて活発に動いています。
情報コミュニケーション条例についても、これから、皆さんは要望を出そうとされているわけですが、どれだけ多くの人を巻き込んで、皆さんの困りごとをどれだけ強くアピールできるかが鍵になってくるのではないかと思います。

さて、鳥取県では、矢継ぎ早に同年の7月には、第2回、第3回の検討会が開催され、8月の検討会では、報告書をまとめています。
全国一番になるために、かなりのスピードで進めたわけです。
もちろん、多くの当事者の皆さん、研究者の方、商工会議所など、たくさんの方々のご協力を得て、質の高い議論はしていますよ。

条例は、2013年の9月議会で可決され、10月11日からスタート(施行)した、という経緯です。

こうして振り返ると、1年間で、濃密に検討が行われたように見えますよね。
しかし、そうした動きができたのは、それよりも前の蓄積があったからです。

「社会福祉の父」と呼ばれ、戦後初の児童養護施設・近江学園を創設した糸賀一雄さんという方がいらっしゃいますが、鳥取県は、その糸賀一雄さんの出身県でもあります。
「この子らを世の光に」というこの学園のモットーを、ご存じの方も多いのではないかと思います。

こうしたことも背景にあって、鳥取県は、従来からかなり福祉に力を入れていたのです。
遡って、2008年の「鳥取県将来ビジョン」を策定する際にも、県内3地区で県民の皆さんと意見交換を行いました。
そのときに、ろう者の皆さんから「手話を言語として認めてほしい」という要望をいただきました。

はじめのほうで申し上げた、精神障がいの方からの「手帳で精神障がいだということがわかってしまうから、使いづらい」という要望をうかがったのと同じですね。

まずは、要望や困りごと。いわゆる「ペイン(痛み)」というもの認識し、そこから出発する。
行政に限らず、マーケティングなどビジネスの世界においても同じです。
マーケティングの中でも、困りごとを出発点として、そこから解決策を見出だして、それをビジネスにつなげていきます。

まず、困りごととして「手話を言語として認めてほしい」という意見がありました。そのことが「将来ビジョン」の策定につながりました。
そこからさらに、将来ビジョンが鏑矢(かぶらや)となって、手話を言語として認めてゆくためにはどうしたらいいのかということで、手話言語条例の制定に向けたプロセスが走り始めた、という流れが見えてくるのではないでしょうか。

あいサポート運動

鳥取県の将来ビジョンに手話を言語として認める文言が盛り込まれた翌年の2009年に、鳥取県では「あいサポート運動」スタートします。

「あいサポート運動」とは、さまざまな障がいを理解した上で、障がいのある人が困っている時に「ちょっとした手助けや配慮」を実践できる人を社会に増やし、誰もが暮らしやすい地域をつくろうという運動です。
2006年の国連での障がい者権利条約の採択を受けて、「合理的配慮」などの理念を実践するためのものです。

この運動では、「あいサポーター」が軸となります。
「あいサポーター」には、多様な障がいの特性、障がいのある方が困っていること、障がいのある方への必要な配慮などを理解して、日常生活において障がいのある方が困っているときなどに、ちょっとした手助けをする意欲がある方であれば、研修の受講やDVDによる自主学習後の県社協への報告書提出をすることにより、誰でもなることができます。

あいサポーターを増やしてゆくことで、障がいを知り、共に生きる社会を実現しようとするわけです。
この取り組みは、鳥取県以外の自治体にも広がっており、この茨城県でも、取手市では、昨年、鳥取県と協定を結び、あいサポート運動を推進してゆくことにしています。 

このように、「障がいを知る」ということを通じて、やはりコミュニケーションするには、手話は必要になってくると思うので、その関係で、手話が次第に県民の中でなじんでいったということもあると思います。

県民の声

鳥取県手話言語条例の制定にあたっては、さきほどもお話ししましたが、日本財団の支援を受けて2013年の4月に手話言語条例(仮称)研究会が設置され、同年の4月から8月までの間で合計4回の議論を経て、手話言語条例案に関する報告書がまとめられました。

この過程において特に重視されたのは、多くの県民の方の声(パブリックコメント)です。

県民説明会では、実に285件ものご意見をいただきました。

私は、国、県、市の各所で仕事をしてきていますが、パブリックコメントがゼロというケースはざらにあります。
その中で、例えば、県民説明会でのこの285件という数字は特筆するべき数字と言えるのではないでしょうか。
県民の関心の高さ、条例制定の気運の高まりが現れています。

本日は、議員の皆さんにもたくさん聞いていただいていますが、2013年9月の県議会では、手話の言語性、手話通訳者の確保、県民への普及啓発の方法など、さまざまな観点から活発な議論がなされたことを付言しておきます。

そうして、このような議会側のご協力もあって、2013年10月8日に「鳥取県手話言語条例」が全会一致で可決・成立したのです。
このときは、全国から100人近いろう者や関係者の方が集まりました。

晴れて、鳥取県手話言語条例が成立した後は、今度は、条例に基づいて、手話施策推進協議会による議論の中で、障がい者計画の中の手話施策推進計画を策定してゆく流れになります。

計画策定にあたって、手話に関するアンケートを県民に実施したところ、多数の方の回答が得られました。
鳥取県は、小さい県ですので、県政が県民に近いということもあるかと思いますが、手話に関する関心が高いということも言えると思います。

鳥取県手話施策推進協議会については、話が細かくなるので省略しますが、どういう方がメンバーかというと、県聴覚障がい者協会、県手話通訳士協会、県手話サークル連絡協議会、あいサポートメッセンジャー、鳥取聾学校の方々などです。

鳥取県手話施策推進計画については説明を省略しますので、ご興味のある方は、インターネットなどで、確認してみてください。

条例制定後の動き

続いて、条例ができて、その後、鳥取県がどのように変わったのかという話をします。

県の施策

県の広報における手話通訳に関し、知事定例記者会見での手話通訳者の配置がなされるようになりました。
また、県が主催するイベントや講演会でも、必ず、県が手話通訳を配置するようになりました。県議会の本会議中継で手話通訳が実施されるようになったというのは先ほども述べました。

このように、県でやることはすべて手話通訳を配置することになっていきましたし、職場や地域でも手話に向けた取り組みが始まっていきました。
例えば、企業や10名以上のグループの手話学習会に対しては、開催経費を助成しています。今までに、のべ1万人以上の方が受講されているとのことです。

手話検定等の受検にも、助成がありますし、手話サークルへの支援もあります。これは、やはり鳥取県も全国と同様、手話通訳者の高齢化や成り手不足の問題がありますから、そのことを考えての施策です。

ミニ手話学習会など、生活により近いところでの取り組みも行われています。

では、学校教育の現場ではどうでしょうか。手話ハンドブックや手話言語条例の学習教材を配布しています。
それから、学校からの依頼に基づき、総合的な学習や手話サークルなどに対し、手話普及支援員を学校に派遣する取り組みもしています。
県立高校の2校では、手話科目を設定して、単位を付与しています。

このように、条例制定後、目に見える形で、手話や聴覚障がいに関する理解や関心が向上していったと言えるでしょう。

手話通訳者の養成についても、なり手不足という問題がもともとありますから、積極的に行っています。
養成研修の開催はもちろん、経験の浅い手話通訳者へ助言指導を行う手話通訳トレーナーを配置したり、全国手話研修センターに派遣して研修を受けさせることにより、手話通訳者指導者の養成についても熱心に行っています。

さらに、ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)を活用した遠隔手話通訳サービス、これは最近では多くの自治体で行うようになってきました。
これは、聞こえない人と聞こえる人が対面している場合ですね。そこにICTを使って遠隔で鳥取県手話サポートセンターが通訳に入る。

では、聞こえない人と聞こえる人が離れた場にいるときはどうするかというと、鳥取県では、「代理電話サービス」というのをやっていました。
もっとも、このサービスは、国が日本財団に委託する事業として全国展開されるようになったことから、鳥取県では、2021年度末でサービスを終了しています。

別に、県が実施するサービスが終了してもいいのです。県がずっとやり続けることが重要なのではありませんから。
県が先駆的な取り組みを行って、そのサービスが良いことがわかって、それを国が引き取る形で全国サービスとなった、いい事例であると言えると思います。

そのほかには、「音声文字変換システム」。
聞こえる人の音声を文字に表示するタブレット端末を、平成27年度から、県庁総合受付、JR主要駅・バスターミナル等の窓口に設置しています。
手話や要約筆記を補完するものとして、特に難聴者や失聴者にとっては、便利なものです。

また2022年5月に障がい者の情報アクセス権について定める法律ができました。
障がい者による情報の取得及び利用並びに意思疎通に係る施策の推進に関する法律(通称:障がい者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法)です。
手話言語条例の制定後、鳥取県では、さまざまな手話に関する施策が行われていったわけですが、その動きは、この法律を先取りするものでもあるのです。

例えば、ICTを活用して、公共施設での情報アクセシビリティを向上させる取り組み。
鳥取市に開発・製造拠点を持つ会社が開発した透明ディスプレイが、文化・スポーツ施設等に導入されています。
これは、UDトークという音声を自動認識して文字化するアプリと連動して、文字を表示するものですが、透明ディスプレイのこちら側とあちら側、両方向から文字を読むことができる、というものです。遠
隔手話通訳サービスの手話通訳者も表示することができます。

また、2023年度は、端末を活用し、ソフトバンク(株)が全日本ろうあ連盟等と連携して行う AI による手話言語認識技術の発展のための実証実験に参加もするようです。
それから、聞こえない、聞こえにくい子どもに特化したサポートセンターも設置しています。

このように、法律で決められたからやるというのではなく、法律に先んじてやってゆく。
つくば市も「科学技術のまち」と言われているのであれば、より、こういったサービスというのを実施していきやすい環境にあるのではないかと思います。

そのほか、手話で鳥取県のおすすめ観光スポットを解説する「手話観光ガイド」動画も作成しています。
このように、地域の中で手話が根付いてゆくことで、バス停やお店などで手話で話しかけられてうれしかったという、ろう者の意見が届いています。
手話を交えたガイドツアーなども開催されています。

それから、全国の高校生が手話言語を使った様々なパフォーマンスを繰り広げ、その表現力を競う「全国高校生手話パフォーマンス甲子園」を、2013年から開催しています。
昨年で9回目になりますが、佳子さまがご来場になり、手話でスピーチをされたことも記憶に新しいことです。

2022年には、鳥取県きこえない・きこえにくい子どもとその家族へのサポートセンター「きき」も開所しました。
きこえない・きこえにくい子どもとその家族に、子育てや将来の見通しを考える上で必要な情報を提供し、相談窓口となるとともに、切れ目のない支援体制を構築するため、関係機関の専門性を生かした支援機能を結びつける中核となる施設です。

県民の反応

では、鳥取県手話言語条例が制定されてからの県民や企業の反応も簡単にご紹介させていただきます。

手話通訳者、手話検定受検者が増加しましたし、イベント主催者からの手話通訳者派遣依頼も増えました。
手話講座に関する県民からの問い合わせも急増しました。

ろう者からは、「手話が認められたことは、ろう者が認められたことでうれしい」「手話ができなくても筆談でコミュニケーションを取ろうとする人が増えた」というご意見をいただいているようです。

聞こえる人からも「あいさつ程度はできるように会社で勉強会を始めたい。」といった声もきかれるようです。

以上、お話してきたように、鳥取県では、条例が手段・きっかけとなって、様々な施策を展開していますし、県民や企業の方も、手話で、さらに手話に限らず色々な方法で、コミュニケーションしていこうという動きが出てきました。

こうした点は、条例のひとつの成果と言えると思います。

つくば市情報アクセシビリティ・コミュニケーション条例の制定に向けて(トピック3)

条例制定に向けて大切なこと

最後に、つくば市での条例制定に向けてお話をさせていただきます。

まず、条例に向けて、いったい何が重要だろう?という点を考えてみましょう。

ここで、クイズです。今度は、もっとまじめなクイズですよ(笑)。

① あなたが、これまで他人とコミュニケーションを取ろうとして、一番困った出来事を思い出してください。
② ①の困りごとは、どのようなサポートや道具があったら、解決したでしょうか。

この場合の「道具」というのは、何でもいいんです。ドラエモンの四次元ポケットでもいいですよ。
皆さんがコミュニケーションをとろうとして、一番困ったことは何でしょうか?
困りごとを解決するためには、どのようなサポートがあったらよかったでしょうか?

このクイズに正解はありません。
この問いに対する回答も、今、皆さんの心の中にあります。
この中で、②の答え、「サポートや道具」の中で、条例を思い浮かべた方がいらっしゃいますか?

おそらく、いらっしゃらないのではないでしょうか。

でも、鳥取県手話言語条例を制定するときには、「手話言語を認めさせたい、広めたい」という問題意識への解決方法として、「条例」を考えていた人が、かなり多くいたはずなんです。
その時と同じくらい、情報コミュニケーション分野での困りごとが、皆さんにとって、大きな困りごとになっているのでしょうか?

困りごとというのは、皆さんにしかわかりません。行政が考えて生み出すものではないのです。

今日の前半の大人部会での議論も、とてもいい内容になっていたと思います。
「困りごとを出してゆく」というのが大事なんだという皆さんの認識。とてもポイントをついていると思います。

それで、困りごとの解決手段として、「条例」をもってくる。そこまではいいです。その次なんです。

条例を作ることによって、何がどういう風に変わってゆくのか。この部分が重要になってくるのだと、私は思います。

結局、ルールづくりは、最終目標ではないのです。ルールはあくまで手段。

目的は、皆さんがよりよいコミュニケーションを行えるようになる、円滑な意思疎通ができるようになるという、そういう社会の姿、理想なんです。

だから、〇〇条例とかいって、まあ、理念条例がすべて悪いわけではありませんが、とりあえず条例を作って記念写真をとって終わり、バンザイ、というだけではダメなのです。

条例を足がかりに新しい世の中を作ってゆくのは、皆さんです。この点を、重要視していただきたいと思います。

今、皆さんを取り巻く環境としては、法律の面ではだいぶ整備が進んでいます。
障がい者差別解消法もあります。昨年は、障がい者アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法もできました。
茨城県でも手話言語条例が制定されています。バリアフリー法もあります。

でも、本当の困りごとを知っているのは、皆さんだけなのです
その皆さんが描くからこそ、つくば市の情報コミュニケーション条例はいいものになるのだと思います。

いまのままだと、困りごとを明確にしないまま、ことが進んでゆくのじゃないか、という危惧をもっています。

困りごとは何なのかを、もう少し皆さんの中で話し合い、明確にしたうえで、だから、条例が必要なんだ、という認識に達することがポイント。

条例案を文字で書いてきれいにまとめる必要はないのです。
条文化するのは、役所や議員さんの仕事ですので、そちらに任せればいいです。
困りごとについて、皆さんの意見を結集してゆくことができさえすれば、条例はよりよいものになります。

これは、私が鳥取県で手話言語条例の制定、その他、福祉に関する政策に関わらせていただいた経験、それから、公益的団体でずっとルールづくりに従事している経験からくる思いでもあります。

条文の体裁を整えようとするよりも、条文案の文言はめちゃくちゃなんだけれど、条例をつくってほしいという切実な思いが強い場合のほうが、結局よい条例になる、ということを覚えておいてください。

自分ごととして考える

果たして、条例が自分ごとになっているんでしょうか?

みなさん、「やる気スイッチ」は入っていますか?

こういうことを言うのは、失礼な言い方かもしれません。「やる気スイッチ」はもちろん、入っているでしょう。
皆さんがそういう熱い思いをもっていれば行政の職員だって、本質的なところでは皆さんの役に立ちたいと思っているのです。実際、私もそうでしたし、今もそうですから。
議員の皆さんもそうですよね。

皆さんの熱い思いというのは、そういう風に伝搬してゆくのです。
繰り返しますが、条例制定は、あくまでスタートラインにすぎません。でも大きな一歩です。

鳥取県でも、条例によって、大きく制度が変わり、施策が推進されました。
それを支えているのは誰か?別に知事でも県職員でもありません。
支えているのは、常に困りごとを発信し続ける皆さんです。

私も、先ほど申しましたように、この学習会の講師を務めるにあたって、鳥取県へインタビュー調査を行いました

「条例制定後の変化がすごいですね。でもどうして、これだけ、ポンポンとアイデアが出ているんですか?
秘訣(ひけつ)とかってありますか?」と、今考えるとバカな質問をしたんです。

そうしたら、その県の職員、私の先輩で大変お世話になった方なんですが、その人がこういわれたんです。
「そんなの、われわれ事務屋がわかるわけない。当事者の皆さんから、日々、現場で声を聞くことが大事。それによって、いくらでもアイデアは出てくるよ」と。

その答えを聞いて、我ながら、この年になってもまだまだ未熟だなあと思いました。
困りごとを出していって、それが、制度やルールを生み出していく。

困りごとを出すのは誰ができるのかと言ったら、皆さんしかいないし、いつやるのかと言ったら、「今でしょ!」という話になります。

すでに条文の文言を作成する力自体は、素晴らしいものをお持ちでおられるので、まずは、困りごとから出発されて、議員や行政に相談していきながら、よりよい条例をつくっていっていただければなあと思います。

とりとめのない話で、生意気なこともたくさん言ったと思いますが、ご容赦いただいて、このへんで終わりにさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

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