2025/2/19

先週末、第4回計算社会科学会大会に参加して参りました。

招待講演2件(安野貴博氏・谷原つかさ氏)、口頭発表43件、ポスター発表41件、スポンサートーク2件と、盛況な大会でありました。

私の方は、「民事裁判における思考様式──民事裁判情報データベース化に備えて──」というテーマで報告させていただきました。
Twitter(現「X」)などからのデータ取得のハードルが上がっている中で、民事裁判の公開を一つのデータソースとしてご紹介するとともに、データを取扱う上で留意すべき民事裁判の特徴をご説明するものです。

当日、民事裁判情報の公開に対して、「裁判官ガチャ」になるのではないか?というご質問をいただきました。
その場では、批判に晒されることによって、適正化ないし平準化される側面もあるのではないかとご回答したところです。

しかし、改めて考えると、人間である裁判官による判断が異なること自体が果たして問題なのでしょうか。
裁判所の判決は、事実認定と法適用からなる結果であり、自然科学の真実とは異なります。
だからこそ、三審制度があるし、それを前提に、裁判官の独立があるのではないかなどと、思い直したところです。
学会で火照った脳みそで、帰り道、妻とのラインで討論したことも良い思い出となりました(笑)。

最近、司法研修所の教官だった先生からいただいた本に、日本人は「大岡裁き」を期待し過ぎている。時代は変わっても、『家栽の人』(毛利甚八作・魚戸おさむ画。家庭裁判所の裁判官を主人公にした、ハートフルなめっちゃ良作のマンガです!こんな裁判官に、いつか出会えるとイイな。)のような裁判官が理想とされており、法意識は変わっていないと(瀬木比呂志(2024)『現代日本人の法意識』講談社現代新書)。
あながち、間違った指摘ではないように思われます。

どこかで、裁判所に対する信頼は比較的高いというデータを見た記憶もあるのですが、学会で面と向かって「裁判官ガチャ」と言われてしまうと、「なんとも答えに窮するなぁ。これに明確に回答する知見を持ち合わせていないなぁ」と冷や汗を流した次第です。

(2/20追記)
「計算社会科学」という大変面白い学問分野を教えてくださった、吉田光男筑波大学准教授、瀧川裕貴東京大学教授に感謝申し上げます。

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